叱らない子育てを実践してみたい

3:43 PM on 2014年7月19日

叱らない子育てが最近、雑誌や本・メディアなどでよく話題になりますね。
私は、その方法に大賛成です!大人だって怒られて嬉しい人はあまりいないかと思います。私もそうです。
なるべくなら、「嬉しい!」という気持ちを原動力にして子供には成長していってほしいなと思って日々の子育てをしています。
もちろん危ないことは全力で阻止しますが、あくまでも「怒らない」というスタンスは今のところ崩していません。
このスタイルでやっていきたい場合、家族にもこうやっていきたいという意思を示しておくのがおススメです。
うちの場合、夫にも「怒らないで育てたいなー」って常に言っているので、彼もたぶん洗脳されてますね(笑)
やっぱり、家族の協力がないと難しいのではないかなと思います。
そして、安全なものはなるべくいたずらをさせています。いたずらで手先を使うことで、脳の発達にもいいのかなーと思って。
まぁ、家は散らかりますが、後で片付ければいいし!とポジティブに考えて乗り切っています。
このスタイルでこれからもやっていこうと思っています。

親子体験型カルチャースクール

9:32 PM on 2014年3月20日

子どもの教育環境は年々変化を遂げており、特に地方と都心との教育格差は明らか。
親の収入によって習い事の数や内容も異なり、それに比例して将来の収入も変化していく。
親がどんなに「これをさせたい」と考えていても子どもにさせてやれない。
もしくは習い事の数が増えすぎて健全な生活が送れなくなっている気がする。
こどもにとって何が一番大事なのか。
教育環境ももちろんだが、何より子ども自身が興味を持って望める環境が一番ではないだろうか。
一つの分野に特化して習い事をさせるのも一つの手だが、子ども同士の遊びの中で本来ならば得るべきものが学習ではないだろうか。
「身をもって知る」ではないが、体験こそ宝。自然の中でさまざまな分野を経験させることが重要だと考える。
とはいえ、昨今の都市開発で消えいく自然を探すほうが大変かもしれない。
ましてや親世代ですら自然の中で体験したという人が少ないのも事実。
だからだろうか、体験型のカルチャースクールが流行るのは。
こどもはもちろん、大人もかつて経験するはずだったことを体験できるスクールは魅力的なものに映る。
競争社会で疲れた大人たちを見て将来に希望を見出す子どもはまずいない。
子どもの教育環境を整えるためにはまず、大人のほうがスクールへ通うべきなのかもしれない。

なにもないじゃないかっ!

5:48 PM on 2014年2月21日

気づけば30代半ばも過ぎ、くくりで言えば「アラフォー」になってしまう、このアタシ。
短大を卒業して、「アタシはこれで生きていくぜぃ!」と息巻いて始めた仕事も、これといってパッとする訳でもなく・・・。
加えて、貯金ナシ、彼氏ナシ、当然結婚の予定ナシ。(あ、一応子供もナシ。)
ということで、ナシナシ、ナシ子。
ナシには事欠かない、今日この頃なのであります。
いや、このままじゃいかんと思っておりますよ。
この先、結婚出来るか甚だ疑問だし、
それならそれで、自分一人で生きていける財力を身につけねば!と、こっそりあがき、転職なども考えている訳ですが。
はっきり言って、この年からの転職なんて、難しいことこの上ないさーー!!!
という訳で、日々変わらぬ現実に焦りつつ、なかなか叶わない(であろう)転職活動に精を出しながらも、
もしかしたら、王子様が迎えに来てくるかもしれないし(はぁと)、なんてあまーい夢も、
どこかで捨てきれないまま生きているのです。
それにしてもさ。
アタシ、これまでの人生、まっとうに、真正面から生きてきたんだからさ。
「お天道様は見てる」なんて言うなら、そろそろ誰か助けておくれよ、などとも思う訳でもあります。
神様、仏様、お願い。
せめて、仕事か彼氏、どちらかと巡り合わせてくださーーーーい!!!

まず、吃音のある自分を受け入れてみよう

7:45 PM on 2014年1月17日

上がり症の私は、日常生活でどもってしまうことがよくあります。
家族や親しい友人と話している時は大丈夫なのですが、公的な場や目上の方と話す時などにはおどおどしてしまうのです。
きっと精神的なことが原因してるんだと思います。
上手にコミュニケーションをとらなきゃ、綺麗な言葉で伝えなきゃ、と思うほどどもってしまう悪循環。
幼少期はすごく流暢に話す子どもだったんです。
昔のホームビデオを見ると、自分ではない別の子みたい。
大人になって社会性を身につけていく過程で、人目を気にするあまりに吃音になってしまったのかもしれないと自己分析してます。
以前は吃音を治さなければ恥ずかしいという気持ちがあり、緊張しそうなシチュエーションを出来るだけ避けようとしていました。
でも、治そう治そうと思うのは逆効果です。
治そうと気張る気持ちが吃音をさらにひどくしてしまうからです。
吃音のある自分を受け入れて、開き直りどんどん人と関わりをもっていくこと。
これが一番の解決策だと信じて、もっと気楽に生きようと思います。

言葉はコミュニケーションを取る上で重要1

12:21 PM

言葉は人間がしゃべるものなのであるが、言葉を発声しづらい(ろれつが回らない・発音が聞き取りづらい)人も中にはいるのだ。その人たちはこちらとコミュニケーションを取ろうと近寄るもこちらは何を言っているか聞き取れないがためにどこかに言ってその人たちを避けてしまうのである。これは、いけないことなのだ。しかし、実際に何を言っているのか聞き取れないときはどうすれば良いのか分からないものなのである。もう一度聞きなおすと落ち込んでしまうかもしれないし相手を傷つけてしまうかもしれない。そう思っている人も中にはいると思うのだ。しかし、言葉を発声しづらい人の声に耳を傾ければ聞き取ることも可能なのではないのだろうか。人間どうしなのであるから使う言葉は一緒なのだ。その人がどう耳を傾けるのかなどによって聞き取れるのか、聞き取れないのか、は変わってくるのではないのだろうか。聞き取れないという人はその人たちに耳を傾けて見て欲しいのだ。そうすれば何を言いたいのかは伝わってくるのではないのだろうか。

軽度の吃音者だったわたしの改善方法

3:33 PM on 2013年10月24日

わたしは軽目の吃音者だった

私は、軽度ではありますが子どもの頃からどもりの症状がありました。
親しい人と会話する分には問題がないのですが、あまり面識のない人と話すときは体が緊張をしてしまい、どもってしまことがありました。

そういうときというのは「緊張するな、緊張するな」と思えば思うほど逆に緊張をしてしまい、簡単な会話でもどもってしまうのですから不思議なものです。

症状が軽いなりにも治そうと思った

社会人になってから人間関係を構築するときにちょっと困ってしまいますので、どもりが治るように私は心構えを改善することにしました。

どもりというのは、やはり精神的な要因がとても大きいと思ったので、他人と会話する前の心構えを変えれば、少しずつどもりが解消されていくと考えたからです。

わたしの吃音改善方法

そのためには、人と話すときにしっかり目を見て話すということを心がけました。
そうすると「逆に緊張してしまうのではないか?」と思われるかもしれませんが、きちんと相手と向き合うことで、逆に相手の感情を読み取れやすくなりますので、それが精神の安定につながると考えたからです。

どもりというのは、いわゆる不安感からくるものが多いと私は考えていて、その不安感をなくすための対策でした。

それを心がけてみると、今までは「あ、あの」とどもりながら会話していたのですが、びくびくせずにきちんと会話ができるようになりました。
ですので、会話をする前に「相手の目を見て、きちんと向き合おう」と心がけるだけで、どもりの症状というのはだいぶよくなるのだと私は思いました。